バカンスと共存するパリオリンピック

09/06/2024
Isamu Kuroda
黒田勇

3年前、パンデミックのために東京オリンピックを現場で「観察」できなかった私にとって、パリオリンピックは2018年平昌冬季大会以来の現場入りが叶った大会である。大会5日目の7月30日にフランス北西部ナントに到着し、男子サッカーの「日本対イスラエル」戦を観戦した。組み合わせが決定してすぐに、まずこの試合を見ようと決めていた。

なぜ、ロシアが排除され、イスラエルは招待されたのか。ロシアは侵略戦争であり、イスラエルは限定的な地域紛争なのか。あれだけの殺戮を国家の名前でやりながら、オリンピックに参加できるのか。さらに、このような状況でもオリンピックでお祭り騒ぎをしていいものか。まずは、それを確認したかった。

試合前の国歌演奏時、イスラエル国歌の演奏とともに、後ろで大きなヤジが飛んだ。振り返ると2人のアラブ系のフランス人がパレスチナの「国旗」を振り、大声で何かを叫んでいる。これに対し、私のすぐ後ろにいたイスラエルのユニフォームを着た老人は、彼らの方に振り向き、つかみかからんばかりの勢いで食ってかかっている。

パレスチナの旗を振る人(ナント競技場)

私はその男性のユニフォームを引っ張り、あえて日本語で諭した。「まあまあ、落ち着いて。サッカーを見ましょうよ」。彼の隣の連れ合いの女性も言う、「ほら日本人も座りなさいと言っているわよ」(私の想像翻訳)

彼は大人しく座席に腰を下ろした。実は、試合前に彼らと少し会話をして記念写真を撮って関係ができていたのだ。

見ると警備員がパレスチナの旗を振る2人のところに駆けつけ、説得している。もちろん他国の国歌演奏でパレスチナの旗を振ることは、「常識」に反していても規定違反ではない。警備員たちも「説得」口調であり、2人の意見も冷静に聞いていた。その後、試合中もいくつかの場所でパレスチナ「国旗」が振られている。

イスラエル応援の人たちと(ナント競技場)

サッカーを観戦にきたナント市民たちのなかに、私の問いに明確に答えてくれる人はいなかった。ただスタジアムの雰囲気が、一つの答えなのかもしれない。やや日本びいきの拍手や声援が続く。過去のユダヤ人問題、そしてアラブ、イスラム圏の問題と、まさにフランスにとって、私の問いは諸刃の剣である。自己主張の明確なフランス人であっても、あまり触れたくない問題なのかもしれない。移民・難民に対し排外的主張をする極右政党が躍進した、大会直前の総選挙の経過と結果からも、問題は深刻で複雑なものを含んでいることがわかる。

集まったサッカー好きのナント市民も、イスラエル支持と思われたくない、そんな雰囲気で日本のプレーに肩入れしていたように見えた。確かに日本チームの展開のほうが魅力的ではあったので、スポーツファンの建前は守られた。

パリオリンピックを象徴するものとして私が選んだこの試合、ただ、私の「期待」に反して、激しい抗議行動もなく過剰な警備があるわけでもなく終了した。 「平和のための祭典」という理想と、さまざまな政治的思惑、スポンサーやメディアと連携したビジネス的な側面、これらがせめぎ合う闘争の場(アリーナ)としてスタジアムを見てみたいという私の勝手な期待は裏切られた。あえて言うならば、スポーツ好きのフランス人たちの、スポーツに対する「建前」を感じた試合であった。

観客に話しかけるボランティア(ナント競技場)

翌日の女子サッカーの日本対ナイジェリアの試合では、フランス人にとってのオリンピックについて、もう一つの答えがあった。会場は3割程度の入りだった。日本や韓国であれば、国民を「動員」して会場を埋めたくなるかもしれない。子ども連れのナント市民に尋ねてみた。

「サッカーが好きだし、ナントで海外チームのサッカーを見ることはめったにないので来ました。組み合わせが決まる前に市民枠でチケットを買っていたので、どちらの国の応援ということではないですよ。子どもたちと楽しめればそれでいいのです」

もう一つ目に留まったのは、多数の市民ボランティアだ。しかし彼らは「整然」や「効率的」といった言葉とは無縁に、炎天下で「おもてなし」の仕事を楽しんでいるように見えた。こうした様子はリヨンの会場でも変わらなかった。ボランティアは、のんびりと地元でバカンスを楽しんでいるようだった。「今年の夏はこれで楽しもうかと思っていたんだ」。車椅子のボランティアは楽しそうにこう答えてくれた。 

ボランティアを楽しむ人(リヨン競技場)

フランス第二の都市、リヨンは重要なサッカー会場となっているが、バカンスシーズンで街は閑散としていた。8月5日「フランス対アメリカ」の準決勝の時間、スタジアムはそれなりに埋まっていた一方で、街角では飲食店のテラス席で市民たちが夕食を楽しんでいた。私が見る限り、自国のサッカー試合を話題にしている様子はなかった。

リヨンで知り合ったスポーツ好きの高校教師バティステは次のように語ってくれた。

「僕も、ほかのフランス人もスポーツ好きだよ。フランス人は議論好きで、無駄な公共投資や交通規制は困るなどという議論があった。でも、オリンピックに反対するよりも他の社会問題が深刻で、そちらに議論は移ってしまった。僕もオリンピックには賛成ではないけれど、好きなバレーボールとサッカーはテレビで見たよ。明日からギリシャの恋人に会いに行くから、オリンピックのことは忘れるけれどね」

オリンピックを楽しみたい人は楽しみ、さらに多くの関心がない人たちもいる。バカンスに優先するオリンピックはない。そうしたスポーツと人生に対するフランス人の「建前」を実感できたオリンピックだった。もちろん、フランス人の「本音」は闇の中だが。

熱心にオリンピックについて語ってくれたバティステ(リヨン)
五輪には無関心のビアガーデン(リヨン)

※写真はすべて筆者による撮影。冒頭の写真は気温30℃ナント競技場外周。