境界から見える歴史を描く
チョン・ユギョン個展「KKWANG! 꽝! 」

04/25/2025
Kenichiro Egami
江上賢一郎

2025年2月、福岡市のギャラリー「EUREKA」にて、チョン・ユギョン(鄭裕憬)氏の個展「KKWANG! 꽝! 」が開催された。兵庫県出身の在日コリアン3世であるチョン氏は、朝鮮大学校美術科を卒業後、美術作家として在日コリアンとしてのアイデンティティ、国家やイデオロギーの表象をテーマに作品制作を行ってきた。

私がチョン氏と初めて会ったのは、パンデミックの最中である2021年春のことだった。彼は2017年から韓国に拠点を移していたが、2021年5月以降も韓国に滞在すると徴兵対象になるという韓国の兵役法改正のため、2020年末に日本へ帰国した。当時、私が共同運営する福岡のアートスペース「art space tetra」では、コロナ禍で展覧会やイベントの開催が困難になったことを受け、アーティストの滞在制作を試みることになった。彼は、その最初のレジデンス作家としてtetraに約3カ月滞在し、制作と展示を行った。その後、福岡を拠点に作家活動を続けるとともに、共同アーティスト・スタジオ「LTNS ART STUDIO」の運営にも携わっている。

在日コリアン3世として自らのアイデンティティとその境界を問い続けてきたチョン氏は、韓国への移住後、16世紀の豊臣秀吉による朝鮮出兵(壬辰倭乱)から20世紀前半の日本による朝鮮半島の植民地支配に至るまでの長い時間軸に目を向け、日本(九州)と朝鮮半島の歴史をあらためて捉え直していった。そして、その視点に自身の家族の出自や自らの移動経験を重ね合わせることで、国家や民族、国籍などの「境界」によって捉えられ、あるいはそこから排除されてきた人々の記憶と経験を丹念に掘り下げ、作品制作の土台を築いていく。

その成果として、2023年秋に福岡城跡地で開催された「福岡現代作家ファイル」において《OMURA-Yaki》を出品している。同作は、第二次世界大戦末期に佐賀県有田町で構想された陶器製手榴弾に着想を得た陶磁器作品である。この町は江戸時代には「伊万里焼」、そして明治以降は「有田焼」の名で知られる日本の磁器発祥の地として知られている。しかし、その起源は16世紀末、秀吉による朝鮮侵略の際に日本へ強制連行された李参平ら朝鮮陶工たちが、この地で磁石(じせき)を発見し窯を開いたことに始まる。

チョン・ユギョン, 《OMURA-Yaki》, 2023

チョン氏は有田焼に関するリサーチを行う過程で、戦時中の鉄不足に対応するために考案されたという陶器製手榴弾の存在を知った。そこで彼は、当時の実物を基に型を作成し、実際に陶器製手榴弾を鋳込んで制作した。その焼成した陶磁器の表面に朝鮮半島、38度線、有刺鉄線、虎といった自身の主要な主題を一つひとつ描き込んでいる。こうした作業を通じて、歴史上の暴力や境界の問題を象徴的に可視化しながら、過去と現在を接続させていった。

このように複数の歴史を個人の歴史、そして民族の歴史と交差させながら継ぎ合わせていく手法は、同作品のタイトル「OMURA」にも見てとれる。長崎県大村市には九州唯一の入国者収容所である「大村入国管理センター」があり、その起源は1950年の朝鮮戦争勃発時に遡る。チョン氏は、大村収容所と在日朝鮮人の関わりについて以下のように説明する。

「大村収容所がなぜできたのかを調べていくと、その起源は1950年12月に遡るんです。日本による植民地支配下で『日本国民』とされていた朝鮮の人々は、天皇最後の勅令である1947年の外国人登録令により日本国籍を剥奪され『非日本人』となりました。そして1952年4月のサンフランシスコ講和条約発効時、法務省の通達によって日本国籍を喪失し、外国人として出入国・在留管理の対象となった朝鮮の人々の一部が強制送還の対象となり、ここ大村へと収容されていきました。この時期に生まれた非人道的なシステムが、現在の永住者や日本に在留する外国人のひとびとの日本社会での暮らしを法的に規定・制限する『入管法』へと繋がっていったんです。」1

チョン・ユギョン, 《OMURA-Yaki》, 2023

さらに大村の歴史を遡れば、この一帯は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮から捕獲し連れ帰った虎を放したという伝説が残る場所でもあった。異国の地に連れてこられた虎の姿は、植民地支配や戦争によって日本へ移動を強いられた朝鮮民衆の運命と重なる。そのような多層的な歴史の断面が陶器製手榴弾の表面に描き込まれたモチーフと呼応することで、過去から現在へと連なる暴力と境界の問題があらためて浮かび上がってくる。

すなわち、《OMURA-Yaki》は、朝鮮出兵と有田焼の起源、戦時中の軍需品生産、そして大村入国管理センターに至るまでの日本と朝鮮の歴史を交差させながら、戦争や国家によって支配や移動を強いられた朝鮮の人々の集団的記憶を可視化する試みとして制作されたといえる。有田焼は、朝鮮半島から強制連行された陶工たちがもたらした技術を基盤として成立した工芸であるが、戦時中には日本軍の武器へと転用される計画があったという事実は、植民地支配下で日本人として軍役についた朝鮮の人々の置かれた状況をも想起させる。戦後になって一夜にして国籍を剥奪され「非日本人」として扱われ、大村収容所へ収監された在日朝鮮人たちの歴史を掘り起こし、「大村焼」という架空の陶芸を提示することで、工芸を政治・歴史に再び接続しようとする。そうした制作/表現は、日本社会が歴史への責任を忘却しつつある現状に挑み、また美術と工芸を脱-植民地化していく試みであるといえるだろう。

チョン・ユギョン氏 photo:古閑慶治

このようにして《OMURA-Yaki》は、福岡の祝祭的な現代アート・フェスという場で展示されながらも、日本の侵略と植民地支配の歴史を外側からではなく内側から問い直す強度を備えた作品となった。その後、チョン氏は有田での滞在制作を経て、2024年2月に現地で個展「大村焼」を開催した。そこでは陶器製手榴弾とともに、虎や有刺鉄線、陶磁器、さらに日本と韓国の隠喩としての円を組み合わせた平面作品も発表している。有田の陶芸が、秀吉の朝鮮出兵、そして第二次世界大戦という二つの戦争の歴史と切り離せないのと同様に、チョン氏は朝鮮人ディアスポラの地としての有田、そして政治的存在としての「在日朝鮮人」の原点である大村という二つの場所、二つの時間を、陶器と絵画によってあらためて結び直していったのだ。

本展覧会のステートメントによると、今回の展覧会のタイトル「KKWANG! 꽝!」は、異なるものが衝突する大きな音や「ハズレ」を意味する韓国語に由来しているという。平面作品を中心に構成された展示では、これまでの問題意識を継承しつつ、平面のなかに複数の視点が挿入されている。たとえば、もっとも大きな平面作品《隔たるほどに、繋がりを知る》では、左右に楊洲周延の錦絵や江戸時代の宣伝刻印「引札」に描かれた二匹の虎(どちらも加藤清正の虎狩りの図から引用)、そして北朝鮮と韓国の国花である木蓮とムクゲが並置されている。また、画面左側には、大村収容所に収容されていた在日朝鮮人に関するリサーチで見つかった作者不明の歌の楽譜や、収容所内で発行されていたサークル文学誌「大村文学」の一節が書き込まれている。その背後には、生まれ育った場所としての神戸・日本社会、学舎としての朝鮮学校、そして国籍を取得した韓国という異なる場に身を置きつつも、そのいずれにも収まりきれない境界上の存在としての自己の姿が重ねられている。さらに、別の平面作品には、有田の泉山磁石場と大村収容所の図柄、そして二匹の虎が描かれている。「EUREKA」の運営者、牧野身紀は、こうした異なるモチーフの組み合わせ、重なりとともに、異なる素材、技法、表現を一つの平面に組み合わせて展開する彼の緻密な仕事ぶりを指摘している。

チョン・ユギョン《隔たるほどに、繋がりを知る》 © 2025 EUREKA

彼の絵画には、このような現代に続く日本の植民地主義の排除の構造や400年前の侵略戦争の記憶が、そして朝鮮と日本、日本人と非日本人、陶芸と兵器といった「境界」が時代や社会、権力の配置によって恣意的に変化しうることが、彼自身(望むと望まざるとにかかわらず)の経験が下地となって描かれている。

「KKWANG! 꽝! 」展のステートメントには以下のように書かれている。

「自身のアイデンティティや複雑な状況と向き合うことは、まるでハズレくじを引いたようなものだと感じることがあります。それはネガティブにも聞こえますが、場違いであること、ハズレを引いたこと自体が、考え続け、技術を学び、どのようにアプローチするか模索するきっかけになるのではないでしょうか。」

彼のいう「場違い」や「ハズレ」という感覚は、在日コリアンとしての歴史的・社会的背景に根ざしている。同時に、複数の国家、社会、民族の「あいだ」に身を置くなかで「境界線」に衝突する時の経験が「꽝!」であり、この異音は彼の作品に反響している。

フランクフルト学派の思想家テオドール・アドルノは、ナチズムについて自己の放棄と権力への同一化によってもたらされたと批判し、同一化に抵抗し他者や自然など「非同一的なもの」へと自らが歩み寄る方法を「ミメーシス(模倣)」と位置づけた。それは、自然や他者を支配し、同化させるのではなく、人間が異なる存在の側へあえて自ら近づくことで、「非同一的なもの」のまま共存していくための認識・方法でもある。チョン氏の制作や実践もまた、異郷へ連れてこられた虎の姿に自らを重ね合わせたように、自らの内部から響く異音を、日本人や韓国人、さらには在日コリアンというアイデンティティに完全に同一化させるのではなく、「現代朝鮮人 鄭裕憬」という一個人の視座、思考の糧として制作・表現へと反転、昇華させている。そして、彼の投擲した陶器製の手榴弾は、私たちが自明視してきたナショナルな歴史の只中へと投げ込まれ、「非同一的なもの」たちの語りが炸裂する瞬間を待っているのだ。2

  1. 本エッセイに関する筆者とのメール上でのチョン氏の指摘を抜粋。 ↩︎
  2. 2023年、チョン氏の作品《Let’s all go to the celebration square of victory!》が「第1回福岡アートアワード」優秀賞に選ばれた際の作家コメントを紹介したい。
    彼は授賞式で以下のように発言している。「日本で選挙権のない在日コリアンとして育った私にとって、アートは社会とコミュニケーションをとっていく数ある手段の内の一つです。私は作品を作り発表することで生まれる対話を信じていますが、まだまだ日本には声を出せない状況の人、出しているけど無視される人がたくさんいます。今回の受賞が多様性は認めるものではなく、そもそも社会は多様なのだということを学んでいく動きに、少しでも寄与できれば幸いです。」 ↩︎

(冒頭の写真:展覧会「KKWANG! 꽝! 」会場風景 © 2025 EUREKA)