ベトナム・ハノイ 2022滞在レポート
ー「距離(ディスタンス/インターバル)」を見直す時間(前編)

02/01/2023
Haruka Iharada
居原田遥

風通しの良い、過「密」なハノイ

2022年の秋、3年ぶりに、ベトナム的秋の到来を感じるハノイを訪れた。11月のハノイは、日中は汗ばむほど温暖な気候だが、夜になると気温は下がり風がとても心地よい。10月以降、ベトナムのコロナ対策は、感染症と限りなく「共生」する方針をとっている。パンデミック初期には、徒歩または自分のバイクや自転車のみという移動制限や、飲食店の営業をテイクアウトのみとするなど、世界的にも厳格なロックダウンが行われたベトナム。しかし、現在では水際対策すらかなり緩和され、アジアをはじめ西洋からの観光客も徐々に戻りつつある。街なかでは「ノーマスク」が多数派といった印象だった。

ベトナムは元々、屋外型の都市である。ハノイは東南アジアのなかでもめずらしく四季があるものの、温暖で湿度が高い気候故に、住居の出入り口は広く大きく設けられ、なかでも飲食店の客席は、路上や半屋外に置かれるのが一般的。人口が多い過密都市にもかかわらず、路上や屋外を基本とした生活様式のために狭苦しさを感じない。ウィルス対策の程度や社会的な方針の設定にはまだまだ世界中が手探りで、こうした限りなく「共生」を目指す社会のあり方には、賛否もあるだろう。しかし、路地脇に並べられた座高の低いプラスチック椅子に座り、隣人の話し声が聞こえないほどクラクションが鳴り響く、夥しい数のバイクや人が行き交う様子を眺めながらベトナムコーヒーを飲む瞬間は、なんとも穏やかで、いまはまだ、パンデミックの時代の最中だという不安を忘れてしまうような居心地の良さがあった。「社会的距離」の適切な設け方は、こうした路上を中心とするような、風通しのよい生活様式と都市空間に見出せるのかもしれない。

久しぶりに訪れたハノイで得た楽しさは、数年ぶりの友人らとの再会にもちろんあるのだが、感覚的な衝撃は食べ物にあった。中国文化、フランス植民地など歴史的に数多くの文化の影響を受けたベトナム・ハノイの食文化はいわば「ハイブリッド」であり、ストリートフードのなかでも特に有名なのは麺料理。3年ぶりに食べたハノイの様々な麺料理は、コロナ禍で失われた2年の味がした。

近くて遠い友人たち ― 「戦争」への思考を通じて繋ぎ直す関係性

キュレーターとして参加したヘリテジスペースの主催するMAPのプログラム内で、参加者のアーティストやヘリテジスペースのメンバーと展覧会開催予定地であるバッチャン村を散策する様子。プログラムの成果となる展覧会は、陶器で有名なバッチャン村にある古い建物で開催されることになった。

今回の滞在の目的は、ハノイのヘリテジスペース(Heritage Space)が主催するMAP(Month of Arts Practice)に参加することだった。2016年に設立されたヘリテジスペースは、主に近現代美術を対象として、展覧会をはじめレクチャーやワークショップなどの文化事業と教育プログラムを行う団体である。そのなかでも大きなプロジェクトであるMAPは、国内外のアーティストやキュレーター、研究者をハノイに招き、一定期間の滞在制作やリサーチを行うアーティスト・イン・レジデンスを伴った事業だ。その期間に国外からのレジデンスプログラムの参加者と地元のアーティストらが交流を重ねながら、毎年設けられるテーマに沿って、成果としての展覧会を作っていく。

筆者(右)がレクチャーを行っている様子。毎週のように、国外から訪れているキュレーターや研究者によるレクチャーが開かれ、2022年のテーマである「戦争」に合わせた意見交換が行われる。(画像提供: Heritage Space/Month of Arts Practice)

ある一定期間、日頃とは異なる土地に滞在しながら調査を行い、その地で出会うアーティストや研究者との交流のなかで表現を模索するアーティスト・イン・レジデンスという取り組みに参加する者にとっての最大の醍醐味とは、想定していない/出来ない出会いと発見にある。コロナ禍においては、テクノロジーを駆使し、移動や制限を補うための様々な新しいコミュニケーション方法が模索されてきた。そうした技術的な革新にコロナ前には気が付かなかった利便さを見出すこともあったものの、やはり現地を訪れなければ見出せない「想定外」があり、そしてこの2年で忘れそうになっていた発見がある。ヘリテジスペースも、この数年はオンラインを用いたMAPを続けていたのだが、ようやく国外からの参加者を交えてハノイで開催することができるようになったのが、この2022年である。

久しぶりにハノイ現地で開催されたMAPのテーマは「戦争」だった。このコロナ禍にも、ミャンマーでの軍事クーデター、ロシアとウクライナの対立という、2つの出来事があった。ミャンマーと同じ東南アジアに位置し、世界に残り少なくなったレーニン像が聳え立つハノイと、東アジアの日本社会とでは、これらの出来事の受けとめ方にも違いがある。従来の歴史的な心情においても、そして同時代に起こりゆく出来事としても、多様で異なるそれぞれのルーツを抱える、(私を含む)アジアのアーティストたちにとって、「戦争」とは非常にアクチュアルかつセンシティブなテーマだった。同時代に生きていたとしても、互いの生まれ育った国や土地の歴史や政治的心情を探りながら議論をすることは、ましてや表現にするのはとても難しい。アジア諸国を行き来し、そこでさまざまな人との出会いを重ねるなかではたびたび、とりわけこうした「戦争」をはじめとする歴史と現在を同時に考える際に、共感と無知――近さと遠さ――を認識させられた。新しいコミュニケーションが求められる時代のなかで、そして移動の制限下で忘れていたのは、こうした議論や時間を共有しながら気が付いていく、あるいは埋めていかなければならない、距離だったのかもしれない。

MAP 2022 の展覧会の様子 (画像提供: Heritage Space/Month of Arts Practice)

このプログラムの様子は、ヘリテジスペースのFacebook イベントページや、MAP2022のカタログが発行されているので(オンライン版あり)是非とも見てほしい。

MAP 2022 の展覧会の様子 (画像提供:Heritage Space/Month of Arts Practice)

ベトナム・ハノイ 2022滞在レポート
ー「距離(ディスタンス/インターバル)」を見直す時間(後半)に続く