〈ライデン通信 ①〉方法論としてのアジア

22.12.28
Mariko Murata
村田麻里子
ライデン市内のRapenburg(ラペンブルグ)運河沿い。左に見える塔の下にライデン大学の正門がある。

2022年9月末、勤務先の大学から在外研究の機会をもらい、オランダ・ライデン市に降り立った。この夏、ヨーロッパでは、コロナ禍の規制を受けない初のバカンスシーズンが到来し、民族大移動(?)がおきて各地の観光施設がパニックに陥った。人員を減らしていた空港での8時間待ちの入国審査や、結局戻ってこなかったロストバゲージなどがたびたびニュースになったが、幸い嵐が去ったあとの到着となった。ちょうどこちらの新学期が始まり、やはりコロナ禍以降初の完全対面での授業や出勤となり、そのことを皆が喜んでいる雰囲気が伝わってくる。とりあえず、幸先のよいスタートを切った。

ライデンといえば、日本ではシーボルトが出島追放後に暮らした町としてある程度は知られているが、一般的な知名度は高くない。実際、アムステルダムやハーグに比べると、圧倒的に小さな町だ。その小さな町で大きな存在感を放つのが、オランダ最古の大学であるライデン大学だ。アジア研究が盛んなことでも知られ、1855年にはヨーロッパで初めて日本学科が設立された。また、図書館は世界屈指のアジアコレクション(特にインドネシア関連の蔵書)を誇る。私が所属している国際アジア研究所(以下IIAS)は、大学の建物が連なる町中の一角にある(※)。スタッフ20人、研究員が十数人というこぢんまりした構成だが、アジアとヨーロッパだけでなく、アジアとアフリカとの関係も射程にいれながら学際的な研究やプロジェクトを促進する、かなりラディカルな組織だ。

IIASのネットワークづくりの核となっているのが、研究員制度(フェローシップ)だ。毎年、アジアからの研究者や、アジア関連の研究をしている欧米の研究者がバランス良く選ばれている。今年度は、インドネシア、フィリピン、インド、中国、ロシア、イタリア、フランス、アメリカ、日本という国々から集ったメンバーで構成されている。一度IIASの研究員になると、その後も何らかのかたちでつながっている人が多く、過去の研究員もしばしば出入りをしているようだ。そのためか、IIASにはいつも「お客さん」がいて、共同研究室で作業をしているとスタッフが紹介しにきてくれる。

国際アジア研究所/International Institute for Asian Studies(IIAS)

研究員はそれぞれ研究発表を行う。研究員同士もなるべくお互い聞き合うことになっており、私にとっては毎回驚きと発見の連続だ。北インドの政治におけるポピュリズムの言説分析をするフランス人(欧米の政治だけみてポピュリズムを一般論で語るな、ということだろう)、フィリピン・ミンダナオ島と沖縄という「周縁」が東アジアにおけるアメリカの覇権の構築に果たす役割を研究するフィリピン人(博士課程は日本に在籍)、インドのラージャスタンやビハールに定住していたバラモン教集団の聖典を解読するイタリア人(その聖典はヒンドゥー教以外にもイラン語の借用やゾロアスター教の影響がみられ、さらに仏教やジャイナ教の要素も含むといい、サンスクリット語だけでなく様々な言語を操る必要がある)、インドネシアの文芸やポピュラー文化における中国性(チャイニーズネス)について研究しているアメリカ人(教鞭を執るのはオーストラリアの大学)などなど、とにかく毎回未知の世界が待っている。そして、彼らの話を聞くたびに、いかに自分がアジアを知らないかを痛感させられる。オランダにいながら、アジアを発見する日々なのである。 

欧米圏では長らく、アジアに関する諸研究は地域研究(エリアスタディーズ)に過ぎなかった。すなわち、ある地域の特殊事情として認識され、政治学から文化史に至るまでのあらゆる視角の研究が、インドネシア研究、インド研究、日本研究という、地域や国家単位で括られた容れ物のなかに閉じ込められてきた。しかし、その分、さまざまな角度からその地域について考える研究者が、縦割りの垣根なくコミュニケーションを取ることができるという側面もあった。また、こうした状況から、学問領域にとらわれない学際的な研究が受け入れられてきた。そして、実はこの状況こそが、今の時代に求められているのではないだろうか。アジアの視点や価値観は、いまや行き詰まりをみせる西洋至上主義的な研究や社会のありかたへの介入であり、もはや方法論になりつつあるのではないかとすら感じる。「方法論としてのアジア」と呼んでもいいかもしれない。

もちろん、この傾向を一般論として語るのはまだ危険だ。この学際性とラディカルな見方は、IIASならではなのだということが、滞在して3ヶ月経った今、徐々にわかってきた。ライデン大学でも、部署間で交流しようという雰囲気は一部にあるものの、どの研究者も縦割りによる動きづらさを口にする。しかし、それでもアジア研究の位置や意味は確実に変わりつつある。

私は90年代以降、短期でも長期でもヨーロッパに定期的に来ている。そこで感じていたのは、アジアはヨーロッパにとってはいつまでも遠い異郷の地だということだった。サイードのオリエンタリズムという概念が色褪せないのは、この距離と、コロニアルな眼差しの残滓がもたらす、一方的なイメージの肥大化やロマンチシズムが今も健在だからだろう。それは研究の世界も例外ではない。しかし一方で、近年の脱植民地主義(デコロナイゼーション)に向けた様々な動きは、明らかに異なるアジアとヨーロッパの関係性を、少しずつだが模索し始めている。アジア研究の位置も、デコロナイゼーションという枠組みも、もちろん薔薇色ではない。しかし、それがもたらしはじめた変化は、確実にそこにある。

(※) IIASは、厳密にはライデン大学ではなく、そのインターファカルティで、1993年にオランダ文部科学省によって設立された。