《日常のなかのデザイン日記 01》
多すぎる名古屋の貼り紙

04/29/2023
Masako Miyata
宮田雅子

この4月で、名古屋に住みはじめて10年目になる。

…と書き出してから、「え、ホントに10年も経ったっけ?」と心配になってカレンダーを数え直してしまったが、どうやら本当に10年目を迎えたようだ。10年なんてあっという間だなと思うと同時に、名古屋に来た当初の気持ちをちょっと思い返してみたくなってきた。

普段、大学でデザイン関係の授業や研究をしているから、身のまわりで誰かがデザインしたものを見かけると、つい興味を持ってしまう。名古屋に来て最初のころに印象的だったのは、地下鉄の駅構内の貼り紙の多さだった。とくに、地下鉄のホームから地上にあがるエスカレーターの乗り口あたりの貼り紙が目をひいた。

エスカレーターを安全に利用してもらうための注意書きが貼られているが、よく見ると、その内容がかなり重複している。歩かずに立ち止まって乗ってほしいという意味のことが、文章、イラスト、ピクトグラムなどを使って示されている。

重要なお願いだから、何枚も貼りたくなる気持ちはわかる。でも、地下ホームから改札に向かう途中に立ち止まってじっくり内容を読む人がいるんだろうか…と、妙に印象に残った。というか、ここで立ち止まられたら通行の邪魔でしょうがないじゃないか…。

そんなことを考えながら駅を歩いているうちに、ほかにもいろいろな貼り紙が目に入るようになってきた。

上の4つは、個人的に「駅にどんだけ危険な人がいるんだよ!シリーズ」と名づけたくなる注意書き。ラッシュアワーの混雑する時間などはとくに、エスカレーターを駆け上る人が多いんだろうなと想像できる。同時に、駅員さんたちが一生懸命こういう貼り紙をつくって、構内の安全を守ろうとしている様子も目に浮かぶ。デザイン的にはまったく洗練されていないけれど、不器用だからこそ、言うことを聞いてあげないと気の毒ではないか…と思えてきてしまう(それを狙ってこうつくってるわけじゃないと思うけど)。

同じ注意書きをたくさん貼るという点では、栄駅のこのゴミ箱も見過ごせない。飲料の空き容器以外は入れないでほしいというステッカーが、こんなに並んでいる。毎日多くの利用者が通る駅なので、ゴミも多いのだろう。この貼り方からは、なんとなく自棄(やけ)になっているような印象も受けるが、その気持ちもわかります…。

こちらは、この柱の背面に、電車の緊急停止ボタンがあることを伝えようとする貼り紙。左のシールには「停止ボタンは柱の左側」と書かれており、右のシールには「停止ボタンは柱の右側」とある。柱のどっち側からまわっても同じボタンなんだけど、たしかにこう書くしかないのか…?と、ちょっと微妙な気持ちになる。

これも緊急時の停止ボタンを案内するサイン。この柱の下の方にあるボタンが小さくて目立たないせいか、赤い「STOP」のマークが3つも貼ってある。柱や壁の死角になって見えないことがないように念を入れたんだろうけど、この角度から見ると、こんな近くに3つも貼らなくても…と、つい思ってしまう。

つづいては、「コインロッカー」の文字が背面に貼られたコインロッカー。名古屋駅や栄駅など、大きな駅でよく目にする。改札の中からはこの面だけしか見えないので、「コインロッカーありますか?」と駅員さんがよく尋ねられるのだと思う。だから背面に文字を貼っておくのは理解できるけど、どうしてこの書体にしたんだろう…とちょっと気になる。見るたびに『エヴァンゲリオン』の書体を連想してしまい、頭の中でエヴァ初号機のBGMが流れてしまう。

これも手づくりらしき貼り紙。交通局が設置した正式のサインもあるが、そのすぐ下に貼り紙を足したということは、道を聞かれることがよほど多いのだろうか。ビニールテープで矢印を描いたり色分けしたりして、とても手がかかっている。でも文字数が多いのと明朝体のせいで、個人的にはどうしてもまたエヴァのBGMが聞こえてきてしまうのだけど…。

これはわりと最近、コロナ禍以降にできた貼り紙。地下のホームを通ると混雑するため、空いているルートを通ってほしいと案内している。ひとつ前の写真は地下鉄丸の内駅で、これは本山駅なので、制作者は別の方だと思うのだけど、テイストがなんだか似ている。A3用紙を継ぎ足してつくる手法も共通している。異動してきた同一人物の手によるものか、丸の内駅を参考に制作した後継者がいるのか、想像がふくらんでしまう。

ひとつひとつはなんてことのない貼り紙やサインだが、それをそこに設置した人物のことを想像すると、どれも人間くさくて愛らしく感じられる。もちろん、こういう洗練されていない貼り紙を追加することで、かえって情報がわかりにくくなっていると考えるプロのデザイナーもいるかもしれない。また、あちこちに思い思いの貼り紙が追加されるということは、正式に設置されたサインの案内が不十分だったということだから、この現状はデザインの敗北だと考える人もいるだろう。でも、空間は、日々更新されていくものだ。ここにこんな貼り紙があるということは、なにかに気づいた人がいた。どんな問題に気づいてこういう工夫をしようと思ったんだろう…と想像すると、駅はただの移動経路ではなく、人の血の通った空間なんだという感覚がわいてくる。名古屋の人たちの創意工夫精神が、こういうところにあらわれているんじゃないのかな、と思う。

スタイリッシュで格好いいのがデザインのすべてかというと、そんなことはない。かといって、ユーザビリティとか使いやすさのためのデザインという言葉も見るが、それだけがすべてということでもない。ダサさと表裏一体の愛着、そういうデザインもあるのかなということを、名古屋に来て学んだ。10年目の春に、今そんなことを感じている。

写真:すべて名古屋市内で筆者撮影