ベトナム・ハノイ 2022滞在レポート
ー「距離(ディスタンス/インターバル)」を見直す時間(後編)
「奔流」的文化 – ハノイのアートシーン
インドシナ半島に位置する東南アジア大陸部の国々は、河川を軸としてその多様で歴史ある文明を成立させてきたと言われているが、そうした水辺の世界にたとえるならば、コロナ前のベトナム、とりわけハノイには、雄大な大河ではなく、無数の、細く激しい水流がぶつかり合う、いわば奔流的文化が築かれていたように思う。ハノイの街並みには、文化/人々が入り乱れる潮流が反映されたような、混在した歴史の痕跡を見ることができる。街のあちこちには中国文化の影響を受けたベトナム王朝時の遺跡や寺院が点在していて、市街のなかに突如として歴史的建築物が現れる。旧市街から少し足を伸ばすと、フランス植民地時代に建設された優雅なオペラハウスが聳え立ち、週末の夕暮れ時には、コンサートを見るためにドレスやアオザイで着飾った華やかな人々で賑わっている。54の民族が暮らすという多民族国家であるベトナムには、ハノイ近郊にも、版画、焼き物、織物などさまざまな伝統品や工芸品を生産する村があり、それらの直売店となる可愛らしい土産物屋や、工房が軒を連ねている。
こうしたいくつもの歴史的文化が細い水脈のように密集し、集積されているハノイには、伝統から近代、そして現代的な文化芸術を学ぶ若者たちも多く、またそうした潮流のなかで形成されるアートシーンは、とにかく「流れが速い」のだ。
とりわけ近現代以降の芸術という意味での「アートシーン」に着目すると、この数十年の変化はすさまじい。「現代美術的なもの」が芽生えたという、ドイモイ政策の開始による市場開放と観光産業の興隆により、欧米や中国市場に向けたギャラリーを軸としたアート作品がひろがり、また同時に、いわばドイモイ的な経済成長に促されて作られるアートに対抗、あるいは抵抗するための活動や創作を行うさまざまなアーティストが台頭していった。またその後、大使館や各国の国際文化交流を司る機関や事業などをきっかけとする「エンバシー・アート」(と現地では呼ばれている)、いわば「文化外交」の場におけるアートの需要と広がりが起こっていく。国の「外」から求められる経済政策や外交手段としてのアート、あるいはそうした状況下で急速な経済成長を遂げる陸続きの東南アジア隣国とのアーティストの行き来も活発になり、現在はそうしたさまざまなグローバル化の過渡期的状況に揉まれながらも、唯一無二な「ハイブリッドさ」を個性とする同時代的/現代的なアートの潮流が、次々と作り出されている。
ここ数年のハノイのアートシーンをとりまくグローバル化の変容を追うだけでも、刻々と状況が変化するために、時代的な特長を捉えることも難しいと感じるが、そうしたなかで形成されるアートシーンもなおさらだ。たとえばアートスペースなどの場所、そしてイベントや表現を生み出す基盤となるコミュニティ、さらにはその時々に話題となるカルチャー的なトレンドなど、いわば「シーン」を形成するさまざまなモノゴトのすべてが、速い流れのように変貌をとげる。次々と新しいスペースが現れてはなくなり、あらゆるトレンドが生まれ、はたまた国外との接点が作られてはなくなり、そしてまた新しい流れが生まれていくようなアートシーンだという印象だった。今回の短い滞在も、コロナ前の友人たちとの嬉しい再会に併せて、新しくできたスペースやアーティストらとのたくさんの出会いに溢れ、訪れることができなかった2年間の変化に、その流れの速さに追いつけない、と感じてしまうほどである。
ポスト・パンデミックの時代に ー 距離(ディスタンス/インターバル)を埋め直す
ハノイから帰国し、その思い出を振り返ることになった2023 年の春には、ミャンマーのクーデターから2年が経ち、そしてウクライナで起きている戦争から1年が過ぎた。悲しいことに、どちらもまだ悲しみと暴力の連鎖が止まってはいない。「戦争」はあまりに日常的に、その存在感を増している。
ハノイを訪れたこと、コロナ禍のなかで失われ、そして忘れかけていたさまざまな「距離」への意識、あるいは移動の感覚を思い出すことが出来たこの経験は、とても(心から!)楽しかった。一方で、参加したアーティスト・イン・レジデンス・プログラムでは、「戦争」というキーワードを探ることを通じて、コロナで失われた時間を取り戻す取り組みが行われ、この2年間のアジアをめぐる政治・社会情勢の変化の大きさと、不穏な時代の予兆を感じずにはいられない。この2年の間に忘れかけていた、近くて遠い友人たちとの多様な「距離(ディスタンス/インターバル)」を取り戻し、来たるべき新たな時代に向き合っていく必要があると強く思う。