ベトナム・ハノイ 2022滞在レポート
ー「距離(ディスタンス/インターバル)」を見直す時間(後編)

04/14/2023
Haruka Iharada
居原田遥

「奔流」的文化 – ハノイのアートシーン


インドシナ半島に位置する東南アジア大陸部の国々は、河川を軸としてその多様で歴史ある文明を成立させてきたと言われているが、そうした水辺の世界にたとえるならば、コロナ前のベトナム、とりわけハノイには、雄大な大河ではなく、無数の、細く激しい水流がぶつかり合う、いわば奔流的文化が築かれていたように思う。ハノイの街並みには、文化/人々が入り乱れる潮流が反映されたような、混在した歴史の痕跡を見ることができる。街のあちこちには中国文化の影響を受けたベトナム王朝時の遺跡や寺院が点在していて、市街のなかに突如として歴史的建築物が現れる。旧市街から少し足を伸ばすと、フランス植民地時代に建設された優雅なオペラハウスが聳え立ち、週末の夕暮れ時には、コンサートを見るためにドレスやアオザイで着飾った華やかな人々で賑わっている。54の民族が暮らすという多民族国家であるベトナムには、ハノイ近郊にも、版画、焼き物、織物などさまざまな伝統品や工芸品を生産する村があり、それらの直売店となる可愛らしい土産物屋や、工房が軒を連ねている。

ハノイ中心地から車で1時間程度の場所にある、日本でも有名な陶器であるバッチャン(Bát Tràng)焼きを生産する村の工房街の路地裏の一角。ハノイが首都になった頃から行われている陶器作りの歴史は深い。
ハノイにあるオペラハウス。1911年のフランス植民地時代に建造された。「ベトナム国立交響楽団(VNSO)」をはじめ、クラシックを中心にさまざまなコンサートが催されている。

こうしたいくつもの歴史的文化が細い水脈のように密集し、集積されているハノイには、伝統から近代、そして現代的な文化芸術を学ぶ若者たちも多く、またそうした潮流のなかで形成されるアートシーンは、とにかく「流れが速い」のだ。

とりわけ近現代以降の芸術という意味での「アートシーン」に着目すると、この数十年の変化はすさまじい。「現代美術的なもの」が芽生えたという、ドイモイ政策の開始による市場開放と観光産業の興隆により、欧米や中国市場に向けたギャラリーを軸としたアート作品がひろがり、また同時に、いわばドイモイ的な経済成長に促されて作られるアートに対抗、あるいは抵抗するための活動や創作を行うさまざまなアーティストが台頭していった。またその後、大使館や各国の国際文化交流を司る機関や事業などをきっかけとする「エンバシー・アート」(と現地では呼ばれている)、いわば「文化外交」の場におけるアートの需要と広がりが起こっていく。国の「外」から求められる経済政策や外交手段としてのアート、あるいはそうした状況下で急速な経済成長を遂げる陸続きの東南アジア隣国とのアーティストの行き来も活発になり、現在はそうしたさまざまなグローバル化の過渡期的状況に揉まれながらも、唯一無二な「ハイブリッドさ」を個性とする同時代的/現代的なアートの潮流が、次々と作り出されている。

ここ数年のハノイのアートシーンをとりまくグローバル化の変容を追うだけでも、刻々と状況が変化するために、時代的な特長を捉えることも難しいと感じるが、そうしたなかで形成されるアートシーンもなおさらだ。たとえばアートスペースなどの場所、そしてイベントや表現を生み出す基盤となるコミュニティ、さらにはその時々に話題となるカルチャー的なトレンドなど、いわば「シーン」を形成するさまざまなモノゴトのすべてが、速い流れのように変貌をとげる。次々と新しいスペースが現れてはなくなり、あらゆるトレンドが生まれ、はたまた国外との接点が作られてはなくなり、そしてまた新しい流れが生まれていくようなアートシーンだという印象だった。今回の短い滞在も、コロナ前の友人たちとの嬉しい再会に併せて、新しくできたスペースやアーティストらとのたくさんの出会いに溢れ、訪れることができなかった2年間の変化に、その流れの速さに追いつけない、と感じてしまうほどである。

ハノイのアートスペースはたびたび場所が変わり、新しいものが次々と現れる。今回、ベトナムの現代美術の萌芽的な存在とされる「ニャサン・スタディオ」や「ギャングオブ5」の中心人物としてよく知られているアーティストのチャン・ルーン(Tran Luong)がディレクターを務めるAPD Centerを訪れた。APD Centerはコロナ禍の2020年ごろから徐々に活動をはじめ、2022年現在では国内出身の若い作家による企画展や、数々のラーニングプログラムを実施するなど、意欲的に活動している。
久しぶりに再会した友人に連れて行ってもらった、ハノイ旧市街にある「AKINA PUB」に張り巡らされたポスターと看板。店名の「AKINA」は中森明菜にちなんでつけられたそうだ。日本のシティポップをこよなく愛するベトナム人の若い店長が経営する、こぢんまりしたサブカル感漂う新しいバーである。店頭には日本のミュージシャンの名前が書かれた提灯が並び、店内のBGMはもちろん中森明菜(アジアのシティポップブームを体感)。コロナ前のハノイはいわゆる西洋人や観光客向けの飲食店がせめぎ合っていた印象だったが、いまは地元の若者のための落ち着いたバーやレストランが活気づいていたように思えた。

ポスト・パンデミックの時代に ー 距離(ディスタンス/インターバル)を埋め直す

ハノイにあるベトナム軍事歴史博物館の外エリアに展示される戦車や戦闘機。ベトナム戦争で実際に使用された数々の武器や軍事品が並ぶ。ハノイには、この軍事博物館の他にもベトナム国立歴史博物館やホアロー収容所など、戦争の歴史を展示する施設がたくさんある。観光地としても有名であり、多くの観光客が立ち寄るなか訪れると、壮絶なベトナム戦争の歴史と、現在起こっている「戦争」の狭間で、なんとも言えない気持ちになる。

ハノイから帰国し、その思い出を振り返ることになった2023 年の春には、ミャンマーのクーデターから2年が経ち、そしてウクライナで起きている戦争から1年が過ぎた。悲しいことに、どちらもまだ悲しみと暴力の連鎖が止まってはいない。「戦争」はあまりに日常的に、その存在感を増している。 

ハノイを訪れたこと、コロナ禍のなかで失われ、そして忘れかけていたさまざまな「距離」への意識、あるいは移動の感覚を思い出すことが出来たこの経験は、とても(心から!)楽しかった。一方で、参加したアーティスト・イン・レジデンス・プログラムでは、「戦争」というキーワードを探ることを通じて、コロナで失われた時間を取り戻す取り組みが行われ、この2年間のアジアをめぐる政治・社会情勢の変化の大きさと、不穏な時代の予兆を感じずにはいられない。この2年の間に忘れかけていた、近くて遠い友人たちとの多様な「距離(ディスタンス/インターバル)」を取り戻し、来たるべき新たな時代に向き合っていく必要があると強く思う。

ハノイの旧市街にて、アーティスト・レジデンスプログラムに参加しているアーティストやキュレーターの友人たちとお茶をする筆者(中央)。